Ensemble Intercontemporainのコンサート。指揮:マティアス・ピンチャー、フルート:ソフィー・シェリエ、ピアノ:永野英樹。たまたま美術館でもらってきたTower Recordsの冊子で取り上げられていたので、迷わず観戦することにした次第。特に、ピアノの永野英樹は以前から興味があったがCDでしか聴いたことがなかったので、これは貴重な機会だと興奮。
“EICを聴く” の続きを読むギターの非日常
金谷幸三、キャロリーヌ・ドゥリューム、稲川雅之による「ギターの非日常」を聴いてきた。2016年2月6日(土)、ザ・フェニックスホール。
- エレキギター独奏(一部二重奏)
トリスタン・ミュライユ: ヴァンピール! - 11弦ギターと6弦ギターによる二重奏
ジョン・アダムス: チャイナ・ゲーツ
ジャン=フィリップ・ラモー: 三つの鍵盤的小品 - 11弦ギター独奏
レオ・ブローウェル: 簡素な練習曲より18番
エリック・サティ: ジムノペディ3番
レオ・ブローウェル: 簡素な練習曲より17番
エリック・サティ: ジムノペディ1番、グノシェンヌ3番
アルノー・デュモン: ラヴェル賛歌のように
ジョン・ケージ: 風景の中で - アコースティック・ギター二重奏
ジャック・ボディ: アフリカン・ストリングス - 19世紀ギター二重奏
ヨハン・セバスチャン・バッハ: ゴルトベルク変奏曲よりアリアと13の変奏
フィリップ・グラス: めぐりあう時間たち
少し早めに会場に到着したが、チケット精算で行列(しかも遅い)。チケット精算して会場入りの行列も、長い。
フェニックスホールに来たのは、20年くらい前の大井浩明氏のリサイタル以来のような気がする。エスカレーターとエレベーターでホールに入り、最前列を確保。よしっ。パンフの曲目解説などをしばらく読んでからふと周囲を見たら、ほぼ満員。すごいこっちゃー。
さて、19:00になり、開演。まずは金谷氏がエレキギターで独奏開始。いい感じで音楽が進む。数分の演奏の後、キャロリーヌ・ドゥリューム氏が合流。しかし、どうやら機器に不具合の模様で、生音しか出ない。ドゥリューム氏は演奏しながらシールドの接続を確認するが、最後まで生音のみとなってしまった。残念。
続く二重奏で、稲川氏登場。ジョン・アダムズの作品は広くは「ミニマル」と呼ぶのであろうが、細かく言うと「ポストミニマル」という作風であり、非常に美しい響きが印象的。この「チャイナ・ゲーツ」はピアノ曲であるが、金谷氏のアレンジにより、ギターの響きを最大限に活かした曲となった。浮かんでは消える儚い響きが、少しずつ姿を変え、また浮かんでは消える。ひとたび演奏が始まると、このゆるやかな音の流れが永遠に続くような気がして、この曲に「終わり」があることが想像できない気分になる。不思議だ。でも、終わりはあった(笑)。
続く11弦ギター独奏は、特に素晴らしかった。ブローウェルの練習曲の響きの美しさは驚きであった。11弦ギターによって、このシンプルな作品がこんなに表情豊かに鳴るとは。サティーも然り。そして、金谷氏が得意とするケージ「風景の中で」。これもまた、先のジョン・アダムズ作品と同様に、流れゆく音の波に聴衆も溶け込んでしまうような心地よい音楽。このような音楽を紡ぎだすギタリストは、他にいるのだろうか。
休憩後、まずはドゥリューム氏と金谷氏のアコギデュオ。アフリカン・ストリングスはタイトル通り、アフリカの弦楽器の音をヒントにした曲。オリジナルはクラシックギター二重奏とのことだが、この日はスチール弦のアコースティックギター二重奏。
プログラムの最後は、19世紀ギター二重奏。バッハのゴルトベルク変奏曲のギター二重奏というのは、なかなか面白い。どうせなら、全曲やってもらえるともっとよかった。グラスの「めぐりあう時間たち」は、映画音楽。ここで、ステージ背景の半透明のカーテン風の布が上がり、梅田の夜景が完全に見える形となった。このような視覚的な仕掛けも、なかなかにくい。とても印象的な演出であった。
アンコールは、ドゥリューム氏と金谷氏によるカルリを19世紀ギター二重奏で。19世紀ギターの柔らかく豊かな響きというのは、何とも心地よい。
この演奏会、タイトルの「ギターの非日常」が示す通り、ギターの様々な可能性を探求した内容であったが、どの曲・アレンジも決して実験的なものではなく、いずれもギターの強みを活かすことに成功したパフォーマンスであり、あらためてギターの魅力を再発見するものばかりであった。
この演奏会のケージ「風景の中で」を含む、金谷幸三氏の感動的なアルバムがあるが、現在は入手困難。
追悼Pierre Boulez
時間が少し経ってしまったが、1月5日に巨匠Pierre Boulezが亡くなった。90歳。そこそこの年齢だとは思っていたが、とても残念なニュースだ。
私は学生時代にBoulezの音楽を知った。当時はどちらかというと指揮者よりは作曲家としてのBoulezに興味が強く、その作品のCDをよく聴いたものだ。代表作「主なき槌」は、所属していたギタークラブの定期演奏会で、大井浩明氏の指揮で演奏された(ギターは、当然ながら、下手くそな私ではなく先輩A氏が弾いた)。
その後は、指揮者としてのBoulezにも当然ながら興味を持ち、これまた色々とCDを聴いたのだが、2003年夏には、NYのカーネギーホールの別館Zankel Hallで、Boulez自演の「主なき槌」を聴くことができた。Boulezの頭上から見下ろすような席で、色鉛筆で書き込みされたスコアを見ることができた。この名作の独特なサウンドを作曲者自身のメリハリのきいた指揮で聴けたののも感激だったし、Boulezの、地味で落ち着いたサラリーマン風の身のこなしも印象的だった。
マーラーの交響曲は、Bernstein指揮による全集も持っているが、個人的な好みでいうと、Boulez指揮のものに軍配。Boulezならではの明瞭な解釈と響きは格別だ。
音楽を創る者にとっても、音楽を聴く者にとっても、多くの遺産を残してくれたPierre Boulez。ご冥福をお祈りします。
金谷幸三サロンコンサート
2013年1月25日(金)、フレット楽器ヤマサキにて。
言わずと知れた、関西が世界に誇る本格派クラシックギタリスト、金谷幸三氏。泣く子も黙る正統派クラシカルながら、小さめの会場で聴衆とコミュニケーションしながらの演奏会を多く開催されており、根強いファンを抱える奏者。今回も20名限定のサロンコンサートであり、慌てて予約した次第。
そんなこと言いながら、実は私は金谷氏の演奏を生で聴くのはおそらく10年ぶりくらい。恥ずかしい限りだ。
会場は大阪のフレット楽器ヤマサキ。私が今も愛用している三浦隆志氏製作ギターを20年以上前に購入したフレット楽器オザキの系列店。地図を見ながらたどり着いた。少し早すぎるが、入っちゃえと思って入ったら、既に集まったファン向けに金谷氏が演奏を聴かせていた。この雰囲気こそが、まさにサロンコンサート。皆がリラックスして、奏者は「何かリクエストありますか?」って語りながら時間が進んでゆく。ドリンク付きのコンサートなので、私はコーヒーをお願いして席につく。ヴィラ=ロボスのプレリュードNo.5の、何とも美しすぎる音。
公式な開始時刻になり、コンサート開始。記憶している曲目はこんな感じ(順番は忘れた):
6弦ギター
- ロドリーゴ/祈りと踊り
- バッハ/無伴奏チェロ組曲No.6よりアルマンド、ガヴォット
- ソル/魔笛の主題による変奏曲
- デュアート/カタルニア民謡の主題による変奏曲
- バリオス/フリア・フロリダ、ワルツNo.4
- カヴァティナ(アンコール)
11弦ギター
- アテニャン/花咲く命ある限り
- ドビュッシー/夢想、月光
6弦ギターは、ケヴィン・アラムだろうか。オープニングのロドリーゴでは、少しデッドな感じであったが(会場のせいか?)、すぐに気にならなくなったのは、奏者の指がリラックスして動き始めたからか?奏者自身「緊張する」と言いつつ、得意のレパートリーを中心としたプログラムで、どの曲も気持ちよく聴ける。
個人的には、金谷氏が近年積極的に取り組まれている11弦ギターの演奏がとても良かったと思う。このドビュッシーの演奏は他のギタリストでは聴いたことがない美しい世界を創り出している。聴いたことない人は、CD買うべし。このCD、「レコード芸術」誌で「準特選」盤に選定されたもの。流石である。
アンコールのカヴァティナは、映画「ディアハンター」のテーマなので、地元・奈良で弾くのはマズいんじゃないか(笑)という発言もあり。なるほど。
終了後に、ご無沙汰してますと金谷氏から声をかけていただき、しばし会話。だいぶ前のミュライユの演奏の録音を見つけたのでYouTubeにアップしたそうな。
こういうスタイルのサロン・コンサート、是非たくさん開催してほしいと願う。
大阪コレギウム・ムジクムの第363回マンスリー・コンサート
2013年1月23日(水)、日本福音ルーテル大阪教会にて。
会社の同僚かつ大学の後輩M君が大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団に所属していることもあり、時々この大阪コレギウム・ムジクムのコンサートを聴きに行っている。
私はこの楽団の、このマンスリー・コンサートがとても好きだ。何が好きなのかというと、ほどよいサイズの奏者数(室内楽やから人数は自ずと決まってくるのだが)、演奏者の雰囲気、そして当然ながら演奏のクォリティである。弦楽を中心とする器楽奏者や合唱団員は、失礼かもしれないが、隣に住んでいそうなフツーのオッチャン、オバチャン、ニイチャン、ネエチャンの雰囲気で、不自然に気取ることがない(強いていうならば、リーダの当間修一氏が只者でない印象だが)。本当に爽やかなプロ集団。そんなプレイヤーの人々が、聴衆と気持ちの良い距離で、気持ちの良い笑顔で、しかし一流の演奏をきかせてくれる。いつも「音楽の本来の楽しみ方というのは、きっとこんな感じなのだろうな」と思ってしまう。室内楽かくあるべし。演奏者も聴衆も肩肘張らず、心地よい至近距離で、音の響きを楽しむのだ。
さて、今回の曲目は次の通り:
- A. ヴィヴァルディ/弦楽のための協奏曲 ト長調 「田舎風」 RV151
- W. A. モーツァルト/ディヴェルティメント 変ロ長調 K. 137
- A. ドヴォルザーク/弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 Op. 77
- H. シュッツ/「宗教的合唱曲集」より(連続演奏シリーズ)
第18曲「もろもろの天は神の栄光を語り」
第19曲「心からあなたを愛します、おお主よ」 - J. ブラームス/「何故に労苦する人に光を与え」Op. 74-1
- 讃美歌連続演奏シリーズ
第二編259番「主よ、われらを祝し」 - 混声合唱曲集「日本・こころのうた」より
鈴木憲夫編曲/こもりうた
当間修一編曲/雪
まずは、ヴィヴァルディ。いつもながら、清清しく絡み合う弦楽とチェンバロの響きでスタート。モーツァルトのディベルティメントも、エレガントな音楽。アンサンブルのうち、コントラバスの音が比較的明瞭に聴こえており、全体のバランスが良く感じられた。
前半最後は、ドヴォルザークの弦楽五重奏。ドヴォルザークらしい旋律が散りばめられた曲であったが、ちと長かった。楽章同士のコントラストがあまり強くないからだろうか、正直、少し間延びした感があった。演奏はひたすら綺麗なハーモニーを聴かせていたので、まぁ演奏者というよりも作曲者に起因するものと考える。
休憩時間はいつも通り、お茶とお菓子。特に腹が減っているわけではないのだが、なんか嬉しい。この雰囲気が、和気藹々としていて、大好きだ。
後半は、全てハインリッヒ・シュッツ合唱団によるア・カペラ。毎年、オーディションによってメンバを選考しており、レベルが維持されているらしい。恐るべし、合唱界の虎の穴。ちがうか。で、2月にオーディションがあるため、今回のメンバによるステージはこれが最後とのこと。まずは団名にもなっているシュッツを2曲。次にブラームスの「2つのモテット」から「何故に苦労する人に光を与え」、これがこのコンサートの白眉であった。曲目通りの歌詞、冒頭の荘厳な”Warum(何故)”の響きが、ダイレクトに胸を打つ。このハーモニーの美しさ、力強さ、迷いを断ち切った潔さは、いったい何に例えればよいのだろう?思わず、「おおぉ」とため息をつきそうになった。
最後は、日本の子守唄、童謡「雪」でかわいくコンサートが締めくくられた。アンコールは、なし。ダラダラと意図不明なアンコール要求(ホンマに求めてるのか?)が続くコンサートに違和感を覚える私としては、アンコールなしというのはとても良いと思う。少し寒さが和らいだ1月の晩のマンスリー・コンサート、満足しながら会場を後にした。
北口功ギターリサイタル
2012年4月29日(日・祝)、大阪ザ・フェニックスホールにて。
家族で行きたかったが、「未就学のお子様の入場はご遠慮ください」とのことで、一人で行った。未就学でも、十分音楽を聴くことはできるんやけど。また、前売券は500円だけ安いので電話で予約しようとしたら、郵送料を含めて事前に振込んだらチケットを郵送してくれるとのこと。それやったら当日券でええわ。演奏者のポリシーと関係なく設定されているシステムなのだろうが、このへん、もっと便利にならんのかな。
さて、開場ギリギリに会場に到着したら、もう既に長蛇の列。とりあえず並ぼうと思って歩いていたら、行列の中から声をかけられた。1年半ぶりくらいに会う、学生時代の仲間の、女子大ギター部OG。お互い、家族とは別行動で一人で来てたので、一緒に並んで席をとった。2Fの一番前で、ステージがよーく見える席なのだが、なんか私の視線と手すりの高さが少しバッティングしてしまい、ちょっと見えにくかったりする。高所恐怖症なので、手すりがしっかりあるのは安心感があって、まぁいいか。
さて、今回のリサイタルは、前半と後半で異なるギターが使用された。前半は日本が世界に誇る製作家・松村雅亘(2000年)のもの、後半はスペインのドミンゴ・エステソ(1923年)のもの。
プログラムは、この数年(いや、10数年か)、北口氏が演奏している曲目が中心となっている(画像のチラシ参照)。ソルのグランド・ソナタは、それこそ私が学生だった頃から演奏されているので、もうかなり長く弾きこまれていると思うが、パンフによると「私(北口氏)の課題曲」とのこと。その他の曲も、既に何度かリサイタルやCDで演奏されるのを聴いた記憶がある。
まず、前半の演奏。何といっても、松村氏のギターの音が素晴らしい。気品と力強さとを兼ね備えた、エレガントな空気が薫ってくる。演奏者と聞き手をはさんでいる透明なはずの空気が、色彩をもっているようにさえ感じさせる。全ての弦の音のバランスが良いのは言うまでもないが、特に2弦、3弦あたりの音の味わいは、もう何と表現してよいのか。演奏も、特にソルのソナタは、今まで聴いたどの演奏よりも美しく感じた。例えば北口氏の1998年録音のCDに収録されている同曲の演奏は、演奏者の強い意志を感じさせる一方で、若さも(良い意味も含めて)印象的で聴く者の胸を熱くさせたのであるが、このリサイタルにおける同氏の演奏は、もっとユニバーサルな美を追求しているように感じた。要するに、作曲者の意図を美しく表現することであったり、更にいうならば音楽の美とはこういうことだと思うんですよ、という表現であったり、そんなことを感じた。上述のCDではブーシェ製作のギターを演奏、このリサイタルではブーシェの弟子である松村氏のギターを演奏、という巡りあわせでありながら、このリサイタルでの演奏に、より音楽のよろこびのようなものを(少なくとも私は)感じた。
しかし、このソルのソナタは、いつ聴いても長く感じるのも正直なところ。前半は、長くても長さを感じさせないのであるが、後半(テーマと変奏、メヌエット)は長く感じてしまう。この曲は、果たして名曲なのか?聴き手である私が成熟していないのか?
前半の最後には、シューベルトの4曲。編曲はメルツかな?ロマン派音楽には、これまた松村氏のギターの気品がよく似合うと思う。しかし、以前ロチェスターで聴いたラファエラ・スミッツの19世紀ギターによるシューベルト作品の演奏で受けた感動が忘れられず、いつも「現代のクラシックギターと、19世紀ギター、どちらを使用するのがいいのか?」と考え込んでしまう。これは愚問なのかもしれず、音楽として楽しめるならばそんなこと関係ないというべきなのか。スミッツの演奏はリラックスした印象の音楽であったが、北口氏の演奏は襟を正して聴く厳格な音楽という印象。シューベルトのリートの世界は、後者なのかもしれない。
休憩を挟み、後半は前半ほど重く感じないプログラム。ドミンゴ・エステソ製作のギターは、やや乾いた音色ながら、やはりしっかりした重厚な音を聴かせる。このギターで演奏された曲はいずれもこの楽器が製作されたのとわりと同じ時代のものであり、特にホセのソナタなどは、この楽器との相性が非常に良いと感じた。
アンコールは、バッハの無伴奏チェロ組曲第6番のガヴォットと、バリオスの祈り。後半に引き続き、エステソのギターで演奏された。
名器を使用したCDの発表やリサイタルの活動が多い北口氏の演奏、今回は更に熟成されたバランスの素晴らしさを堪能できた。重たいプログラムではあったが、リサイタル全体としての流れや完成度は以前よりも充実していると感じる。その一方で、曲目にはもっとバラエティを求めたいというのもファンの気持ちである。更に付け加えるならば、リサイタルの回数はもっと多くしてほしいとも思う。音楽業界が厳しい昨今、クラシックギターのリサイタル自体のビジネス性を考えると難しいのかもしれないが、小さなサロンコンサート的なものでもよいと思う。ジャズミュージシャンのように、休みなく毎晩のようにライブで演奏をする人々と比較すると、クラシックギターも同じようなスタイルがあってもよいのではないか、と思ったりしてしまう。
まだ持っていなかった「バリオス作品集」を購入し、サインをいただいて帰宅した。いろいろ感じたが、心地よい一日となった。
北口功ギターリサイタル
予定通り、北口功ギターリサイタルに行ってきた。2011年3月6日(日)、茨木市生涯学習センター「きらめきホール」にて。
会場の「きらめきホール」は、非常に綺麗で音響も良く、とても感じが良い。
通常なら3000円とか4000円とかしそうな内容が無料で聴けるのだから、なんか不思議な感じがする。ええんかいな~
定員478人のホールが、満席。「事前予約が必要」だったので私も家族分の予約をしていたのだが、リサイタルの数日前に満席となったとのこと。
家族揃って会場に入り、席に座っていたら、学生時代のギター仲間が現れて、驚いた。私の妻の大学の先輩でもあるので、呼び止めて、強制的に隣に座らせて久しぶりに会話した。計算すると、会ったのは18年ぶりか!?今では二児の母になっているとか、ご主人の転勤で今は関西に住んでいるとかの話を聞いたり、こちらの近況を話したりで盛り上がってしまった。
さて、肝心の北口氏の演奏。以前よりもさらに熟成された、じわっと味が染み出すような印象。音の一つ一つを丁寧に磨き上げ、紡ぎ出すといった感じ。全体として、楽器(松村雅亘氏(2000年)作)をコントロールしつくし、松村ギターの力を最大限に引き出した演奏で、楽器と奏者が一体になって音楽を奏でているかのような感があった。
前半はソルの「魔笛」「グランド・ソナタ」およびバッハ「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番より」であったが、中でもバッハが白眉であったと思う。ミスタッチはあるにはあるのだが、滑らかに流れる旋律、「和声の本質に根ざした演奏」と評される音楽の進行。後半はシューベルト「白鳥の歌」より3曲と武満徹「12の歌」より7曲。シューベルトは滑らかな演奏で心地よく聴けたが、武満ではややミスタッチが増えてしまったという印象が残ったのは残念ではあった。
終演後、北口氏にも挨拶をし、会場を後にした。北口氏と知り合って約20年であるが、レパートリーの嗜好や目指す音楽の方向性は大きくはぶれないようである。直近十数年で、数々の歴史的名器を演奏したCDをリリースしたり、今回のリサイタルでは長年にわたり取り組んだレパートリーを松村ギターで演奏。この先、北口氏が独自の魅力を武器に、どのような新しい世界を切り開いて行かれるのか、楽しみである。
北口功ギターリサイタル
クラシックギターの師匠の北口功氏から、ギターリサイタルのお知らせが届いた。
2011年3月6日(日)14時開演
茨木市生涯学習センター2Fきらめきホール
(要事前予約。電話 072-624-8182)
F. Sor
モーツァルトの主題による変奏曲 Op.9
グランド・ソナタ第2番 Op.25
J. S. Bach
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番より
テンポ・ディ・ボレアとドゥーブル
F. Schubert
メルツ編曲
セレナーデ、仮の宿、郵便馬車
T. Takemitsu
12の歌・地球は歌っている より7曲
チラシには松村雅亘氏のギターの画像。全曲、松村ギターで演奏されるのかどうかは不明であるが、楽しみだ。
曲目は、北口氏が長年演奏してきたものが中心となっており、今回もおそらく熟成された解釈や技術で聴くことができるであろう。ソルのソナタは、氏の2枚目のCDに収録されていた演奏は、演奏家としての強い意志を感じさせるものであり、自らが進む方向を示しつつ、決別すべきものとは決別するという宣言すら感じさせる情熱的なものであったが、今回のリサイタルでは、どのような演奏となるのだろうか。
シューベルト(メルツ編)は、私は以前米国でR. Smitsの19世紀ギターによる感動的な演奏を耳にしており、現代のギターによる演奏はどうなのか、興味深い。武満の12の歌も、歌を編曲したものである点はシューベルト~メルツの組合わせに似ているといえるか。これらも曲自体は親しみやすいが実は演奏は非常に難しいものであり、どのように聴けるのか、楽しみである。