京都大学11月祭に行った

久しぶりに、京大のNF(11月祭)に行ってみた。家族全員で行くのは初めて。

車で京都市内に入り、大学からはわりと遠い駐車場に車をとめて、散歩がてらブラブラと大学に向かった。学生時代にはなかった店ができてたりして、なかなかおもろい。それでも京都らしい町の雰囲気は、変わってないのね。

学生時代によく行っていて、昨年にOB・OGで久々に飲みに行った「よろずや」が、なんと、別の店になっていた!ショック!酒の味やつまみの味をおぼえた、あの店がなくなったなんて。しかし、ショックを隠し平静を装って東大路を北上。

我らがギタークラブの部室や吉田寮があった入口は工事中で封鎖されており、一つ北側の入口からキャンパスに入る。自分の中では「教養部」キャンパスなんだが、今は何と呼ばれているのか?ま、どうでもいいけど。昔は食堂があったあたりの入口だ。

早速、なんやかんや、やっとる。演劇の看板発見。時間があれば、こういうのも観たいけどね、今日はゴメン。グラウンドは「おまつり広場」として模擬店がずらり。なんか、勧誘というか売り込みが激しい。学生らしくていいけど。

何も買わずに(ゴメン)移動し、見て回ったり買い物をしたりした。ギタークラブの演奏会は聴かなあかんやろと思い、行ってみた。40分間で、学生4人ほどが交代で演奏。緊張してるような、してないような。でも、誰も本格的なクラシック音楽は、やらないのね。年が離れすぎているので、誰も私がOBであることなど知らないし、特に会話をせずに退散。新しい部室ができたら、また遊びに行きたいな。

私が学生の時は、ギタークラブは毎年、ギター喫茶アストリアスをやっていたのだが、最近は毎年異なるイベントをやっているらしい。演奏会以外の時間帯は、ギター体験会をやっているそうな。賑わったんだろうか。

共北3階から下を見たら、女装喫茶が営業中。なんともシュールな光景だ。客のテーブルに女装した学生が付き添ってくれるようである。そのテーブルでフツーにケーキセットを食べている男子学生。んー、わけわからんすぎて、たまらなく嬉しい。


あとは、同じ共北付近でリコーダー同好会とジャズ研の演奏を聴いた。

リコーダー同好会は、四重奏。見たことあるようなリコーダー、見たことないリコーダー。学生時代に、この同好会の人と一緒に合奏したことあったのを、思い出した。

ジャズ研は、トリオでOld Folks。ストレートアヘッドなジャズで、なんか、心地いいぞ。おそらく、この前後にもいろんなプレイヤーが演奏したんだろうけど、少ししか聴かず、場所を移動した(ゴメン)。

同じ構内で焼きそばなどを食べ、本部構内に移動。
時計台の前では何やらいろいろパフォーマンス、あとはやはり模擬店。やたら焼きそば、焼うどん、たい焼きが多いね。

時計台を東側から背後に回って、古本・中古レコード市というのがあったので、行ってみた。んー、とっても中途半端な品ぞろえ、さすが学生のやる商売はなかなか味があっていいじゃないか。それでも本を買っているお客さんもいて、これまた、ええやないか。

地下のTully’sの前で休憩し、今度は時計台を西側からぐるっと回って再び正門から東一条を西に歩いて京大を後にし、買い物をして帰宅。

学生が、ひとつひとつ、どれをとっても、ひたすらどーでもいいようなことに、あそこまで真剣に打ち込んでいるという姿は、何とも楽しい。大人になってしまった私も、童心、というほど幼くない若さに触れて、なんか元気をもらった。学生時代のアホさを思い出して、明日からまた、アホになろう!

いろんな講演とか、体験コーナーとかあったようだし、これは、本気で朝から晩まで居ようと決めれば、かなり楽しめそうだ。次回は、そんな楽しみ方もいいかも。

京都国際マンガミュージアム

京都国際マンガミュージアムに行ってきた。京都府に住んでおり、このミュージアムも近いのだが、なぜか今まで行く機会がなかった。

開館のちょっと後に入場。入口の手前がギフトショップになっており、なんか面白そうなグッズがいろいろ売られている。

まず驚いたのが、約5万冊のマンガが館内の壁面書庫にビッシリ収納されている「マンガの壁」。1970年代から2005年頃までのマンガがあり、もちろん閲覧自由。大人も子供も、気になるマンガをてにしては、そこらじゅうで座り込んで読んでいる。言うまでもなく、海外からの来場者も多い。

吹き抜け壁面の「火の鳥」オブジェ。「京もの活用事業」として、手塚治虫の「火の鳥」を仏師が仏像彫刻の技術で表現した作品。私自身はマンガ「火の鳥」は意味が全く理解できないのだが、この彫刻は色鮮やかで生命力にあふれ、とても魅力的に感じた。

この吹き抜けの場所が東西の渡り廊下のようになっており、火の鳥が明るいガラス壁の南を向いた格好になっている(火の鳥の顔は、少し西を向いているが)。

ミュージアムの公式サイトの画像では、夜間のライトアップでは外からもこの火の鳥が見えるようだ。

今回は、「土田世紀原画展」が開催されていた。土田世紀は、2012年に43歳で夭折。その独特な迫力を持ったタッチとシリアスな空気感は、一度読んだら忘れられない魅力を放つ、そんな漫画家だ。私も学生時代、週刊誌でよく読んだ。「俺」とか「編集王」だな。

あまり説明はくどくどと掲示されておらず、ひたすら原画を見て迫力を感じるという演出であったが、これはおそらく仕事場で使用されていた机だと思う。椅子は長時間の仕事に耐えるための高級な感じのもの。

数少ない掲示の中にあった、奥さんからのメッセージが胸を打つ。土田氏への思い、この原画展への思い、次世代の漫画家への思い。

ちなみに、このミュージアムは、「龍池小学校」の校舎を活用してつくられたもの。一部を除き、昭和4年建造の佇まいが残されているらしい。

昭和に小学生時代を過ごした私としては、この校舎の内装にはグッとくるものがあった。見た目だけでなく、木の香りも、小学校低学年を過ごした古い校舎を彷彿させ、突然、懐かしい気分に浸ってしまった。

ちょうど先日、小学校3年生時代の恩師とクラスメートでの同窓会があり、旧交を温めたところだったので、なおさらこの校舎には感激した。

京都市と京都精華大学の共同事業として整備されたこのミュージアム、日本のマンガ文化の重要拠点でもあるし、純粋に「楽しい」博物館としてもとても魅力的だ。また行こう!

京大教養部からギタークラブBOXにかけて歩く

学生集会所のお別れ会を、ギタークラブ現役部員が企画してくれていたので参加するつもりだったのだが、同級生だった「仏」が仕事をやりくりして関東から来て日中だけ京都で会えるという連絡が入ったので、日中から京都市内に入ることにした。

出町柳駅で十数年ぶりに仏と落ち合う。学生時代よりはだいぶ太った仏。ますます太い音でギターが弾けるであろう。出町柳駅の構内、昔から変わらんなぁ。地上に出れば叡山電鉄の乗り場。風情があってええわ。

仏と二人、つまりオッサン二人、炎天下の京都を東に歩く。やはり「このあたり昔と変わらんなぁ」と言いながら、歩く。オムライス屋自体はあるが、店名は変わったかな?いや昔のままかな?百万遍からさらに東に入って、まだまだ歩く。昔の飲食店は、ほぼそのまま営業してる。新福菜館って、仏によると昔からあったとのことだが、そうやったかなー?

京大北部キャンパスを過ぎて、さらに東に歩く。一つ目の目的地、天下一品銀閣寺店に到着。二人で入る。午後の2時前やから、店内はガラガラ。よかった。クーラーもそこそこきいていて、助かった。久しぶりに天下一品を食べるという仏。私自身は、たまに食べているが、この銀閣寺店は学生時代に頻繁に通った場所なので、懐かしい。ま、この数年、たまには訪れて店のオッチャンともしゃべったりしているのであるが。そして、まさにこの場所で、学生時代には仏と二人で音楽やらアホなことやらを夜中まで語り合って深夜3時に閉店で追い出されるということがよくあったのだった。

今回も、気付いたらラーメン食べ終わってもずっと語り続ける二人。そろそろRhymin’に移動しようということになり、店を出た。再び炎天下を歩く。皿うどんの「まつお」の所で今出川通を南に渡り、京大本部キャンパスの東側の道を歩く。このあたりも、やはり全く変わっていない。吉田神社の所で道は西に折れ曲がる。仏の学生時代の2軒目の下宿だった建物を遠目に眺めつつ(こういう下宿屋って、今でもやってるんやろか)、道なりに歩いて本部正門で時計台を見る。

そして、東一条通をはさんで南側の教養部(今は教養部とは呼ばないが、自分にとっては教養部だ)。ここは学生時代とは全く別の姿になっている。綺麗すぎて、おかしい。京大っちゅうのは古くて落書きだらけで汚いのがいいんじゃないのか?

でも、私の就職前の頃には、新しい建物になりつつあったかなぁ。あまり憶えていない。

昔(昔って言ってしまうのがイヤやな)、A号館と呼んでいたのがこの建物になったのであろう。んー、なんじゃこれ?

このA号館跡の建物の正面あたりで右に曲がり、グラウンドのフェンスの所に出た。グラウンドと、そのフェンスにある掲示板は、以前のままだ。よろしいんじゃないでしょうか。

「現代物理研究会とかいうサークルの部室があって、実態はバンドの音が聞こえてきてた」と仏が言うが、どうも記憶が明確に蘇らない。と思ってたら、部室棟(って呼ぶのか不明)が見えた。そうそう、そういえばこんな感じだった。これも変わってないのだな。

そして、その南側の建物は吉田食堂のはずだが、これは今もやってるんやろか?

さて、仏が「この先が図書館で云々」と言うので、「吉田に図書館なんてあったっけ?」と言ったが、本当にあった。

「全く記憶にない」と言ったら「そら、お前は図書館なんて行ってなかったから」とのこと。まぁそれが正解であろう。

本部構内には立派すぎるくらいに立派な図書館があるから、そっちばっかり印象にあった。でも、よくよく思い返してみると、なんかこの吉田の図書館にも、来たことあるような気もするのよねぇ。でも忘れたな。

京大教養部の名物であった「怒る人」の胸像は、もうないんやなぁと言っていたら、その胸像の写真を発見。

ほうほう。この人は折田先生という人なのか。京大と関係ある人だろうとは思ってたけど、三高時代の校長だったのか。

胸像自体は、やはりもうないのだろうか。ん?この解説の最後に「どうか折田先生を怒らせないでください」と書いてある!すごい。京大は、やっぱり冗談のわかる大学やな。

図書館の南側、昔はE号館とか呼んでたあたりかな。建物は新しく綺麗になった印象もあるが、配置自体は昔から変わってないような気がする。

仏と二人で、ここでドイツ語の授業をとったなと会話。シューベルトとかのリートの歌詞を題材に授業をやる教官で、授業の発表で点数をとれない奴は最後の授業でリートを一曲歌い切れば単位くれてやる、というものだった。

しかし、どっちかというとこの建物は夜にギターを練習しに来る場所という記憶。京都学生ギター連盟のパート練習もここでやった。

麻雀かギターかで夜を明かした後に、この中庭でギタリスト北口功氏とキャッチボールしたこともあるな。

そして更に南側、吉田キャンパスの最南端、ここが吉田寮の裏側。たまに授業に顔を出した後、ここを通ってBOXに戻ったものである。

雨が降ったらものすごいぬかるみになっていたと思うが、この日は歩きやすかった。しかし吉田寮の建物は、あらためて見るとやはり古い。学生時代はこういうものを普通の風景として認識していたから、恐ろしい。ではなくて、素晴らしい。

この明るい日差しは、今も昔も変わらない。真夏のきつい照りであるが、自分には春の新入生を照らす日差しを彷彿させる。今でもここに立つと、フレッシュな気持ちになりそう。というか、授業を抜け出してBOXに向かうアホな充実感が蘇ってくるだけだが。

まぁ、ここを通らずにもっとマトモな学生生活を送っていたら、今頃は多少なりとも立派な人間になってたんじゃないかとも思うわけだが、自分にとってはそんな仮想のシナリオはないのだな。

いったんは学生集会所を通り過ぎてRhymin’に行き、さっきラーメン食ったけどサンドイッチとコーヒーでしゃべくって、マスターとも話したりしてBOXに行ってみた。そして、そのまま夜のBOXお別れ会に突入。夜中まで語ったり、途中でギタリスト塩谷牧子さんにも来ていただいてしゃべったりして、BOXを後にしたのは夜中の1時か2時か、よく憶えていない。

これで、あの古いBOXやBOXに行く吉田寮裏の小道ともお別れ。新しい道は、自分で作ってゆく。

京大学生集会所(工事開始)

先日書いた、京大学生集会所。取り壊しの前に、OB・OGでこじんまりと集まって居酒屋で飲むことになった。少し早めに着いたので、明るいうちに再度、BOXを見てみることにした。

なんと、東大路通から大学の敷地への入口が、ほとんど封鎖に近いくらいの状態になってる。

一応、右横の隙間みたいな所から入れるようにはなっているが、既に、ここから吉田寮を正面に眺めることはできなくなってしまったということだ。

学生集会所の取り壊しは8月と聞いていたので、この時期ならこれくらいは当然なのだろうけど、いよいよという感じで少々寂しい気がする。

東大路通から大学の敷地に入り、ひとまず学生集会所を通り過ぎて、吉田寮に向かって進む。

吉田寮の入口の少し手前、左手(北)にある、吉田寮食堂の跡地。私が学生の時、ここは(おそらく)既に食堂としては機能しておらず、軽音楽部や演劇部の練習場所になっていた。前衛演劇なのか何なのか知らんけど、「宇宙人が来た!」みたいな台詞を練習してる人がいたな。時々軽音のライブもやってた。

この廃墟のような建物の中に、あれだけの学生の若いエネルギーが充満して破裂しそうになっていたのは、すごいことだ。

この看板によると、「吉田寮食堂は京大最古の建築物」だそうな。かなり古いのは一目瞭然だが、最古ってホンマなのか、どこまで信じてよいか不明。ホンマなら、じゃあ食堂よりも吉田寮の方が後に建てられたということか。

「補修、存続を!」と書かれている。数十年前から吉田寮の取り壊し案と反対運動は繰り返されてきたのだった。今回の取り壊し決定については、どんな議論が行われ、どんな決着に至ったのだろうか?

吉田寮が建て替えられたら、食堂も綺麗になるんだろうか?綺麗な吉田寮も綺麗な吉田寮食堂も、全然、想像できないんやけど。

で、その内部。この日のこの時間は、練習とかイベントものなどは特に何も行われていなかった。

私自身がここを利用したのは、教養部の授業とギタークラブの行き来の時と、自販機で飲料を買う時くらいだった。

飲料自販機の位置が奥になっていた。私の学生時代は、手前にあった。

東大路通の方に戻って、学生集会所。これを撮影した私の背後は既に仕切りが立てられて工事準備に入っている様子なので、この建物自体の画像は以前と変わらないとはいえ、なんか気分が異なる。

入口のみならず、建物内でもオーケストラの練習音が酷い。学生時代から、この建物内の廊下でオーケストラの楽器練習は禁止されていたが、それでも迷惑を顧みず練習するオーケストラの団員が多かった。今もルールが変わったとは思えないが、変わらずオーケストラ団員はここで平気で練習してるようだ。

それにしても、この風情ある建物が取り壊されるというのは、まだ何となく信じられない気がする。

さて、この後、OB・OGの4人で2時間ほど近所の居酒屋「よろずや」で飲み、再び戻ってきてBOXに突入してみた。

BOXには現役部員3人と、若いOBが2人。宴の最中であった(ギター練習せんかい!笑)。「古いOBです」と言って入った。「いつごろ(卒業)の方ですか?」「昭和から平成にかけてです」みたいな話をしつつ、BOX内を見渡す。

んー、BOX変わってない!以前は窓際にあった巨大な机が、今は室内中央あたりに配置されている。

なにっ、冷蔵庫がある!羨ましい!私の部員時代は冷蔵庫なんてなかったので、先輩が実家から持ってきたウイスキーなど、割って飲むということができず、いつもストレート、ノーチェイサーでちびちび飲んでた。そのせいで、今でもウイスキーを紙コップなどに入れてストレートでちびちび飲むと楽しい気分になる。

窓や壁もそのままで、おそらく全く変わっていない。東側の壁なんぞは、酔っ払ったS先輩が「俺は〇〇だ!」と自分の名前を書いた数日後に酔いがさめて反省し、白いペンキで自らの落書きを上塗りし、余計に醜いものにしていった、そのままになっていた(1990~1991年頃の事件)。

このBOXがいよいよ取り壊されるというのは、やはり実感があるようで、ない。でも本当なんやろな。何度もこのネタを書き込むのも情けない気がするが、ま、ええやろ。

久々のRhymin’

学生集会所が取り壊されるという話をしているうちに、どうしても学生時代に時々行った喫茶店Rhymin’に行きたくなった。

このお店、京大の学生(教員とか京大病院のスタッフも、かな)がわりと通い詰める場所である。私も大学に入学した直後からよく通った。マスターはお客さんを大事にされる人で、我々の自主企画の演奏会が定休日と重なった時には、わざわざ家族で聴きに来てくださったりしたものだ。

ということで、居ても立っても居られなくなり、週末に、家族でRhymin’することにした。妻子にとっては初めてのRhymin’だ。

久々に店内に入ったら、昼前の時間帯のため、わりと空いていた。店内のテーブル配置や雰囲気、学生時代と全く変わらない。うれしいなぁ。

水とお手拭きを運んでくれたマスターに挨拶したら、よく憶えてくださってた。学部を卒業して大学院生だった時に自主企画で実施した桂のバロックザールでの演奏会や私の演奏の印象などをよく憶えてくださっていて、感激。

メニューも、黄スパとか白スパとか、懐かしい。家族で、カレー、ピラフ、サンドイッチを食べながら、マスターと車やら時計やらの話もして、昼頃になりお客さんも増えてきたところで、会計をして店を出た。

懐かしい場所で、懐かしいマスターと話すことができて、嬉しかった。また、来る!

同じ東大路通りのカレー屋、ビィヤント。学生時代には、ここにもよく来たもんだ。

さらっとしたルゥで、味はかなり辛いのだ。私は特にベジタブルカレーが好きだ。少し贅沢をしたいときにはカツカレー。目の前でさっとカツを揚げてくれるのだ。辛めのカレーと一緒に食べると、カツが全くくどくない。

店のおばちゃんは、「うちのカレーは、辛いよ。甘口でも、ほかの店の辛口くらいよ」と自慢げに言う人である。今回、ちらっと覗いてみたら、おばちゃんがカウンター内で仕事してはった。学生時代から既に20年以上たったから、おばちゃんも年を取ったはずだが、変わらない感じだ。やはり嬉しいな。

この店にも、もう十数年、来ていない。そのうち来ようと思いながら、ずるずると時間がたってしまった。この辛さは子供を連れてくるのは難しいだろうから、今度、一人でぶらっと来ることにしよう。

さて、居酒屋の「よろずや」。ギタークラブの部員御用達。今の部員達は、来てるんやろか。

ここは、まだ酒のうまさなどがよくわからない学生時代、先輩に連れられてよく来た。当時は今ほどは焼酎文化が根づいていなかったから、いつもビール→熱燗という流れであった。ぺったんたん先輩は、いつも「バクダン」を飲んでたな。いまだに、あれは何だったのか、謎。

初めて「うにくらげ」を食べたのも、この店。今でも時々、うにくらげを買って食べることがあるが、いつもここで初めて食べた時のことを思い出してしまう。

最後はだいたいいつもお茶漬けを食べてお開きにして、皆でブラブラとBOXまで歩いて帰ったが、そのまま麻雀やる奴やらギター弾く奴やらまちまちだったが、基本的に私は酔っ払って椅子を並べて寝てたかなぁ。

この店も、ちょっと覗いてみたら、店内で夜の営業の支度をしてはった。また行こうっと。

今度は、近衛通りを東に入ってみたいな。

京大学生集会所

学生時代のほとんど全てを過ごした京大の学生集会所が、遂に、遂に、あぁ遂に取り壊されることとなったらしい。有名な吉田寮と同じ敷地にある、古くてボロい建物だが、私にとっては神聖な場所。

ちょうど、京都市内に行く用事があったので、家族で東山近衛~丸太町界隈を歩いてみた。

いきなりだが、東大路通りから学生集会所や吉田寮がある敷地に入る所の光景。ここを何度、学生時代に通ったことか。秋にはこの銀杏木が色づいて、黄金のトンネルになる。匂いもなかなか強烈であったが。

たまたまではあるが原チャリが倒れているところも、なんとも雑然としたこの場所の空気を感じさせる。

この正面奥が吉田寮。今回は寄らずに帰ってきた。学生時代にも、ほんの1、2回、興味本位で足を踏み入れただけであったので、あまりよくわからん。ひたすら埃の匂いがしたのを憶えている。

学生集会所の入口手前から、東を向く。何のビニールシート?

その奥が、我がギタークラブのBOX(部室)の窓。昔、夜中にBOXに行ったら、ドアの外の南京錠がかかったままなのに中からギターの音が聞こえた。不思議だと思いながら開錠して入ったら、某同級生が涼しい顔をしてギターを練習中。聞けば、BOXに入ろうとしたら暗くて南京錠の番号を合わせることができなかったから、仕方なくこの窓から侵入してたということであった。行動がおかしすぎる。

朝までBOXで飲んだり麻雀をしたりし、鳥の声が聞こえてきたのも、この窓からであった。秋の朝に近所のおばちゃんが銀杏を拾いに来てガサゴソやってたのも、この窓の下であった。

土日だからだろうか、この日は自転車の数が少なく感じた。いや土日ならなおさらサークル活動するんちゃうんか!学生たちよ、何しとるんや?あるいは、最近はここに集まる学生の数自体が減っているのだろうか。

そして、学生集会所の入口。あっ、手前が舗装されてる。以前は、舗装されてなかったので、雨の日などはぬかるみになってたり、ぬかるみの上に板が橋のように置かれてたりしたはず。なんか便利になってるな。

合唱団の看板の存在感が大きい。ギタークラブは入口左側に控えめに。昔から看板って、あったかいな?

この壁などは、おそらく建てられた当時のままなんやろな。古すぎる。

学生集会所に入ると、まずこの光景。すごい。全く変わってない!

「堂食」(=食堂?)って、なんで?

トイレの中は、怖くて覗かなかったが、これもまぁ変わってないんやろね。

水道水を「飲まないでください」って。これを飲もうという気には、なれへんから心配無用。

この棚はどの部のもので、中身は誰のものなのか?

入口付近、2階へ続く階段。これもやはり、学生時代から全く変わらない光景。

2階は、民族舞踊研究会やったかな。がらーんと大広間のようなフロアであった。練習が始まると、ドタバタして、1階のBOXの天井から塗装がパラパラと落ちてきたものである。

2階にはピアノがあり、2つ年上のピアニストの大井浩明氏がたまに弾いてはったような気がする。その同級生のメリ田牛也氏(仮名)も早朝に練習してはった。

ギタークラブや京都ギター連盟の練習で、たまにこの2階を使わせてもらったこともある。

今回は、下から階段を眺め、写真を撮影するだけで、2階に上がることはしなかった。特に理由はないけど。

入口を入って、東を向く。

書棚に譜面が整理されているが、これ、誰の?オケ?こんな所に置いてたら、すぐになくなるんちゃうの?奥の譜面台も然り。

このあたりの棚も、学生時代から変わってないのかもねぇ。昔は黒電話が置いてあったな。

手前の棚に架かっている黒い物体、なんか怖いぞ。

集会所の1階廊下の東の端(吉田寮側)から西を向く。

ギタークラブのBOXが入口付近だったから、学生時代はあまりそれ以上奥に入ることはなかった。この廊下の端まで来たのは、おそらく1、2回だろう。

それにしても、何とも退廃的な空気。壁も灯りも、おそらく全く変わってない。立てかけてある看板っぽいものは、何じゃ?

この画像、見てるだけで、埃っぽい香りが蘇ってくる。

この画像の左手の叡風会だけは、この日も誰かが中にいたようで、会話の声が聞こえた。あっ、でも部屋の場所が違うかな。何部かな。よくわからんわ。

右手の将棋部か囲碁部は、中を覗いてみたが、がらんとした畳部屋に扇風機が置いてあるだけで、かなり怖い雰囲気。

で、ギタークラブのBOX。

初めてこの扉からBOXに入った日のことを、今もはっきりと憶えている。人生の転落が始まった、記念すべき素晴らしい日だ。

この日は、誰もおらず、鍵を開けることができないから、BOXに入ることはできなかった。もし誰かいても、現役部員は知らんから入らんかったと思うが。

背伸びして中を覗いてみた。昔、窓際に置かれていた重厚な机が、BOXの真ん中あたりにきている。下宿していなかった頃、自宅に帰るのもめんどくさくて、この机の上に古くて汚い布団を敷いて、よく寝たもんだ。翌朝にどうしても出席しないとヤバい授業がある時なんかも、ここで寝たな。

この学生集会所、そしてギタークラブのBOX、建て替えられて、どんな感じになるのだろうか?

大学に入学した翌日くらいから入り浸り、大学院を修了して就職するまで離れることができなかった、この愛すべき学生集会所、BOX。吉田寮を含め、京都大学のカラーを凝縮したような(ホンマかいな~)この場所と香り。取り壊されるのはさみしいが、それも時代の流れだろう。ここだけは時間が止まっていることを確認できたが、いつまでも止まっていることはできないらしい。俺も前を向いて歩こう。

天下一品 銀閣寺店

Vincentでのジャムセッション、まずは楽しんで演奏することができ、ちょいご機嫌で車を出して、なりゆきで今出川通りを東に走ってた。そしたら、なんか「天下一品のラーメンを食いたい」と思い始めて、そのまま東大路通りをこえて、銀閣寺店へ。

この「天一 銀閣寺店」は、学生時代にしょっちゅう通った懐かしい場所だ。初めてこの店に入ったのは、大学の一回生の時で、先輩に連れてきてもらったのだった。その時は「なななんじゃこれは!」という印象であったが、いつの間にやらハマってしまい、大学院を出るまでの6年間、ある時は友人と、ある時は一人で、昼夜を問わず通った店なのである。

なんだかんだで、この店には15年くらい来ていないのではないか?そんな気がする。車を停めて、店を覗いてみたら、なんと、注文を取っている人が、当時のおっちゃんや!もう、めちゃくちゃ嬉しいわ。早速店に入り、「並」を注文。「にんにくは?」「入れてください」という、いつものやり取りも、当時のまま。タイムスリップしたようで、たまらん。ちょうど店がすいている時間帯で、快適。

間もなく運ばれてきたラーメンの味は、、学生時代のそれとはちょっと違う気もするが、でもやっぱり美味い。個人的には、銀閣寺店の味が、ベスト天一だ。北白川の本店よりも、好みだ。

会計の時に、おっちゃんに「20年くらい前から、働いてはりますよね」と声をかけたら、「僕?あ、そうです、もう22、3年になるかな」とのこと。「またよろしく!」と言われて、「また来ます」と答え、店を後にした。このおっちゃん、私の推定では75歳だが、20年前も推定70歳くらいだった。20年で5歳しか、年をとっていない。天下一品ラーメンを食べてはるから、だろうか。恐るべし、天一。とにかく、嬉しい気分の一日であった。

本家尾張屋(そば)

家族で、高島屋京都店で開催中の「第48回 京都府私立幼稚園かいが展」を見に行った。娘の絵が展示されていたわけではないのだが、子どもの絵というのは、どれもとても興味深い。独自の空気感みたいなのを漂わせている絵、見ているだけでこちらが和んでしまうような絵、面白くてたまらん絵、など。

昼は、そば屋の本家尾張屋。昼前なので、ちょっと待っただけで入れた。私はせいろそば定食を注文。わりと早く出てきたぞ、なんか嬉しいな。そばは、予想通りの美味しさ。香りもほどよく、のどごしも良い。そして、定食のかやくご飯、これがまた絶品。一口食べて、「うす味やな」と感じたが、うす味の美味さというのが、これまた素晴らしい。単に味が薄いだけではなく、口の中で上品な味が広がるのだ。決してギラギラと主張せずに、しかし深い味わいで印象を残す。さすが京都。この奥深い味わいが、そばの風味をこわさずに見事に定食としての調和を奏でる。今まで、そばとかうどんとかの定食のかやくご飯などをさほど意識することはなかったが、これからはもう少し意識してみよう。

娘も、大人と同じせいろそばを注文し、ほぼ完食。やっぱり、美味いんやな。朝から「おとなとおなじそばが食べたいねん、つゆつけて、ねぎがついてるやつ」と言うとったしな。

秋の金閣寺

家族でぶらっと金閣寺へ。そういえば、紅葉の季節の金閣寺を見るのは、私も初めてだと思う。

ちょうど見ごろという感じで、紅葉もきれいだし秋らしい天気だし、とても気持ちいい。

せっかく京都府内に住んでるのだから、ほんとはもっと紅葉を見に行きたいのだが、だらだらしている間に、もう今年も見納めか・・・

帰りに、金閣寺近くのケーキ屋「まざぁぐうす」に立ち寄った。この店に来るのも、なんと20年ぶりくらい。店の中のつくりは、ちょっと変わったような、変わらないような・・・どうなんやろ。今回は、持ち帰りで「かぼちゃの馬車」とシュークリームを買って帰った。私は食べなかったが、娘が食べて、美味しかったとのこと!